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穴吹史士が書いた記事

AICキャスターclick
2002/10/21

青函連絡船上のナイフと写真
いまを去る40年も昔のこと、青森港を出て函館へ向かう青函連絡船に、東京と大阪の高校の団体が乗り合わせた。ともに修学旅行途上、ほぼ同じコース、スケジュールで北海道を回ることになっていた。しばらくはいろんなところで顔を会わせざるを得ず、どっちの高校が優位に立つか、決めておく必要があった。両校の生徒の代表者が、デッキの物陰に集まり、東京の高校側が提示したのは、飛び出しナイフから果物ナイフ、切り出しまで、十数丁の刃物だったという。「おれたち、この程度の武装は常時してますよ」というわけだ。

それに対して、大阪の高校側が提示したのは、数葉の写真。「わしら、こんなもん、扱こてまんねん」。その写真は、法律で販売を禁止され、温泉街などだけでひそかに入手できる類のものだった。東京側は、異様な写真の背後にやくざ組織の不気味な影を見たのだろうか、「お見それしました」と引き下がったそうだ。

その大阪の高校というのは、実は私の出身校で、私自身はそのとき、デッキで代表者会談行われていることなどつゆ知らず、船倉の３等船室で、無邪気にトランプ遊びをしていた。話を聞いたのは、後になってのことである。写真を提示したわが校の代表者は、やくざ組織とは縁もゆかりもない普通の生徒。なんでそんな写真を修学旅行に携行していたのか、よくわからないが、ともかく母校の危機を救った男として、現在まで敬意をもって語り継がれている。

「ワンコイン悦楽堂」の竹信悦夫記者が、「警視庁に摘発されたあの漫画本、もう手に入らんでしょうなあ」と雑談に来たのは、つい先日のことだ。私の出身高校の以上のような過去を知ってのうえでは、もちろんない。東京の出版社が発行したその漫画の単行本は、「いたずらに性欲を興奮させ、または刺激し、普通人の正常な性的羞恥心を害するわいせつ図画」にあたると判断され、10月初め、出版社社長と漫画家らの３人が逮捕された。ミニコミが摘発された例は多いが、公刊誌の逮捕者は全国でも初めてであるらしい。

竹信記者が、その漫画になぜ関心を示すのか、立ち入って尋ねるのは、はばかられた。彼はかつて、警視庁詰めの事件記者だったので、刑事事件の捜査という観点から、ちょっと興味を持っただけと、いちおうは解釈し、「どれどれ、検索してみましょうかね」と、インターネットで調べてみると、数件がヒット。だが、どこも「回収・販売中止」の表示。それでも表紙の絵を掲載しているサイトがあったので、「表紙でがまんしておけば」と助言したら、彼は、「うーん、ワンコインの書店を回ってみるか」と、あきらめきれない様子で立ち去った。

しかしそんなところを回らなくても、いたずらに性欲を興奮させ、正常な羞恥心を害する画像、動画が、ネット上に夥しく横行しているのは周知の通りである。私としては、こんな時代、漫画本１冊のために、手間のかかる捜査を展開した警察に、まずご苦労さんといいたい。そして、考えてみる、何のための苦労？と。一罰百戒？　やくざ組織の資金源を断つ？　ぜーんぶ、的はずれだろう。では、ただの仕事熱心？

かつて風紀紊乱を取り締まる日本の役所は、ものすごく仕事熱心だった。私の周辺にも、そのとばっちりを受けた人が何人かいる。「アニメ・コラム」の山井教雄さんは、アメリカの「PLAYBOY」誌のエスプリがきいたひとこま漫画が好きで、古本を集めている。まとまったコレクションを外国で買って日本に持ち込む際、税関に命じられて、ヘアの部分を砂入り消しゴムで念入りに削り落とした経験は、笑い出したくなるほど滑稽で、また哀愁に満ちていたという。

20年ばかり前になるが、当時の「週刊朝日」編集長も、連載記事を理由に警視庁に呼び出された。有名画家のアトリエをカラー写真で紹介するシリーズで、たまたまヌードモデルのヘアが、そういわれればそうかもという程度に写りこんでいたのだ。編集長は、「ほら、ほかの社の方は、みんな書いてるんですよ」と始末書の束を見せられ、何度も署名しかかって、その都度思いとどまり、結局、始末書を出さずじまい。「あの人は頑固者だ」と、警察関係者の間で有名になった。

だが、ヘアはひとかけらといえども見逃さないという仕事熱心は、全く報われなかった。その後、ヘアヌードの公然化を経て、社会は性表現の自由化に一直線。かりに青函連絡船上で、例のような写真を提示したところで、いまは中学生さえ恐れ入らせることはできない。その種の図画はとうに犯罪の影やいかがわしさを喪失しており、従って、誰もどきどきしないし、屈服もしない。

そんな図画があったら出会ってみたいものだと、私などは思う。そういった現状を鑑みると、警視庁が摘発した漫画は、よほど犯罪臭に満ちた、仰天ものだったのかもしれない。そうであったら、確かにニュースだ……。竹信記者は、元事件記者としての勘から、あくまでそこにこだわっているのかもしれない。果たして彼は、目的の漫画を見つけることができただろうか……。