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穴吹史士が書いた記事

AICキャスターclick
2006/09/18

冤罪
夏休みの１週間、中国の雲南を旅行して帰国すると、成田空港まで車で迎えに来てくれた上の娘の夫が、帰路の車中、「お義父さん、ぬかみそを庭に捨てませんでした？」と聞く。「うーん、埋めたけど、どうして？」「いや、なんか臭うって、みんなが」

ぬかみそについては、妻の死後、その遺志を継ぐ形で、犬とともに、私が立派に守り育てている生物であると、この欄で自慢したばかりである。しかし、実のところ、手を焼いていたのだ。毎日かき回すのは、まあたいした手間ではないが、ひとり暮らしで、１日１本、小さな胡瓜を漬け込んでは、先の１本を取り出す、ただそれだけのために、５キロのぬかみそを維持管理する費用対効果の悪さに、少しずつ疑問を感じ始めていた。

それで、１週間家を空けるのを機に、廃棄を決断したのだった。犬の散歩は、ちょうど帰省中の下の娘に肩代わりさせるとしても、自分が食べもしないぬかみその面倒までみさせるのは、かわいそうだと考えてのことだった。

庭の草が生い茂ったあたりに穴を掘り、ぬかみそをぶちまけて、土を覆い被せる。ぬかみそといえ、生き物であるから、そんな処置を取ることに、心中、一片のやましさが生じなかったわけではない。だが、夏の暑いときなど、発酵具合が気になっておちおち出張も出来なかったことや、こまめに手入れしているのに、悪臭を放ち始めて困惑したことなどを思いだし、おおいにせいせいしたのだった。

引導を渡したはずのそのぬかみそが、どうやら生きているらしい。「いや、まだ確かめてはいないんですが、庭に面した窓を閉めると、臭いが消えるので、きっと発生源はそちらで、もしぬかみそを埋めたのなら、と。ここ１日、２日のことです。どうなっているのか、こんど庭を掘り返してみましょう」と上の娘の夫はいう。

大学で土壌学なども勉強している下の娘が、「そういうことは、起こりうるかも知れない」といいだし、廃棄されたぬかみそが悪臭元であると、みんなは確信しているようだった。

土中に埋められたぬかみそが、あたりに繁茂している雑草をおのが中に引き入れ、漬け込み、発酵か腐敗かしらないが、生体活動を続けている。死んだ妊婦が、埋葬後、棺桶の中で子どもを生み、夜な夜な飴を買いに化けて出るという、京都・六波羅「幽霊子育て飴」の縁起を連想して、ちょっとぞっとする。

さてその翌日、「やっぱりまだ臭ってるね」と上の娘が、庭に面した窓際で、鼻をくんくん鳴らしながら、いったりきたりし、「なに、これ!?」と声を上げた。部屋の隅からつまみ上げたのは、ビニール袋に入った、褐色の液体で、いやな臭いを放っていた。

それは、かすかに残った固形分から推定すると、ニンジンが腐って溶けたものらしかった。私の無精で、ときに昔の野菜が、買ったときのままの姿で、台所や食堂の隅に転がっていることは多い。ニンジンはそうやって放置されたまま黙って数週間を過ごし、我慢の限界を超して腐敗するや、悪臭を放って、もしかするとそこへ漬け込まれたかも知れないぬかみそに罪をなすりつけて、平然としていたのだった。