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穴吹史士が書いた記事

AICキャスターclick
99/04/26

20年、毎週届く郵便物
個人的な用件で使用するメールのプロバイダーを変えた。これまでのプロバイダーは、アドレスがシンプルで憶えやすいのが取り柄で、３年くらいがまんして使ってきた。が、ほかに取り柄がないので、もっと取り柄のあるところに乗り換えた。アドレス変更のメールを、友人数十人に入れたところ、うち３人に宛てた分が、「宛先不明」で帰ってきた。

「空打ち」の率としては、低いほうだろうか。また、空打ちだからといって、悔しがるほどのデメリットがあるわけでもない。しかし郵便の場合、事情が変わってくる。私のもとには、毎日のように郵便物が届くが、現在の肩書きを宛先にしたものは、10％前後。あとの90％は、前の、あるいはそのまた前の、さらにもっと前の、社会的に影響力があり、相手には利用価値があるように見えるポストにいたときの肩書きに宛てている。

ご丁寧に、前と、前々の肩書き宛てに、同じものが２通届くことも珍しくはない。それらの郵便物は、期待された効果を生まないから、経済的には損失である。もっとも、くるくる変わるポストに、いちいち対応するのは手間がかかる。その費用を考えると、いずれにしろ、たいした効果を期待できないダイレクト・メールなのだから、10年くらい放っておくほうが、むしろ安上がりなのかもしれない。

雑誌の編集部などには、定期送本リストというものがある。常連の寄稿者や取材で常々お世話になる人の名簿・住所録だ。これに登載すると、送本業者を通じ、発行されるたび、自動的に雑誌が送られる。1000人単位の膨大なリストで、送本にかかる費用も膨大である。そのため、数年に１度、「経費節減」の目的で、リストの洗い直しが行われる。

私の経験では、10％が無意味な送本である。同じ人に複数届けられていたり、当人がすでに亡くなっていたり、それで、未亡人が受け取っていたいたが、その未亡人も亡くなっていたり。なんでこの人に、だれがこの人に、そもそもこの人、誰？といったケースもある。１度取材で会って、送本リストに入れたものの、それ以後まったく縁がなく、その記者も転勤してしまったのだ。

100人単位で「空打ち」が発覚するのを見た経験があるので、私は送本の必要があるときは、めんどうでも、自筆で宛先を書くようにしていた。

私のもとに自筆の宛名で、毎週届く郵便物がある。「週刊競馬ブック」である。差出人のところに「Ｙ山Ｋ雄」の署名。この雑誌の表紙写真を撮っているカメラマンである。

20年ばかり前、知人に紹介されて知り合った。当時も競馬の写真を撮っていたが、なにか別のテーマの仕事もしてみたいということだった。私は「穴場伝説」という題でストーリー写真を発注した。そのころ、黒い中国服を着た謎の人物が、東京競馬場の馬券売場に出没し、100万円単位、場合によっては1000万円の勝負をしているという「伝説」が流れていた。毎日のように競馬場に通っているＹ山カメラマンには、比較的手掛けやすい仕事だろうと思ったのだ。

その謎の人物は、謎でもなんでもなく、盛毓度（せい・いくど）氏といい、かつて東京・芝にあった竜宮城風の中国レストラン「瑠園」のオーナーだった。上海から出た資産家の一族で、上海では何百頭もの競走馬を保有していたという。日本でもリンリンリュウエンンとかランランリュウエンという名の馬を走らせていた。そして、100万円単位の札束を穴場にねじこむという話も本当だった。

Ｙ山カメラマンは、どういうわけか盛氏に気に入られた。黒い中国服に長身を包み、馬券売場の雑踏から頭ひとつ抜けてすっくと立つ姿や、「瑠園」の社長室でくつろぐ姿を撮影し、その作品は、私が働いていた雑誌のグラビアに掲載された。Ｙ山カメラマンにとっては、忘れられない仕事となったのだろう。彼は競馬の写真に戻り、お互い会う機会がなくなったが、その後ずっと、ほぼ20年、自筆で宛名を書き、「週刊競馬ブック」を送り続けてくれているのである。

残念ながら、私は競馬をたしなまない。送本が始まったころ、Ｙ山カメラマンに、無駄になっては気の毒だからと、返上を提案したことがある。しかし、「ぼくの仕事を見ていてほしいから」といわれ、そのままになっている。それに、「週刊競馬ブック」が、まったくの空打ちになっているのかといえば、そうでもない。

私の職場の若いスタッフの間で、いま競馬人気が高まりつつある。その人たちに回しているのだ。「ブック、来てませんか？」と、このごろでは催促されるほどだ。で、結果は、桜花賞はビギナーの女性が取って、皐月賞は全員討ち死にと、まあ、「週刊競馬ブック」のせいでもあり、せいでもないような……。