日本では冠婚葬祭にお酒はつきもの。祝儀不祝儀ともにお酒は無くてならぬ物のようです。

今までに多くの冠婚葬祭の席に出ましたが、ことお酒について一番印象に残っているのは、わが亭主の大学山岳部以来の友人、井上治郎さんの告別式でした。

井上治郎さんは1991年1月、日中友好梅里雪山学術登山隊の隊長として、中国雲南省の霊峰・梅里雪山（標高６７４０ｍ）の初登頂をめざしておられました。しかし頂上目前で大雪崩に遭い、日中あわせて16人の隊員とともに亡くなられたのです。井上さんが中国から出してくださった年賀状が元旦に届いた矢先の悲報でした。行年４６歳。彼は、南米パタゴニア、エベレスト、ヤルンカン峰（ネパール）、南極など、ヒマラヤや極地のベテランでした。エベレストでは故植村直己氏とザイルを組んだそうです。

まだご遺体も見つからないその年の2月末、京都の葬祭場で井上さんの告別式がありました。先輩同輩後輩たちの、思い出を語る言葉や送る言葉、歌が続き、最後に、井上さんとネパールの地でめぐりあって結婚された奥さんのご挨拶がありました。「15年間という短い間でしたがとても充実した楽しい日々でした」と。奥さんは、海外青年協力隊で看護婦としてネパールで働いておられた頃、氷河調査をしていた井上さんと出会われたそうです。

告別式の後、司会をしていたうちの亭主が言いました。「全く異例のことではありますが、会場外にお酒を用意させていただきました。どうぞお帰りに飲んでいただいて酒好きであった故人を偲んでください」



その言葉通り、会場を出たところに四斗樽の薦被がドーンと置かれていました。その鏡をカンと割って、桝でお酒をいただきました。木の香りのするお酒が何ともおいしかった！

京都の２月、底冷えする午後でしたが、火炎放射器みたいな大きな石油ファンヒーターが何基もゴウゴウ燃えている前庭で、桝酒を飲みながら互に久闊を叙したり、井上さんの思い出を語ったり・・。酒豪であった井上さんにふさわしい告別式でした。（その後、山岳部の同期仲間で京都市内のどこぞへ繰り出したようでしたが、私は先に帰りました）。

遭難された１７人のうちほとんどのご遺体は、結局数年後に氷河の端から発見され、ご遺骨が中国、日本のご家族のもとに帰りました。井上さんが遭難された時、まだ小学生だった二人のお嬢さんは、すでに成人して美しい娘さんになられました。

奥さんも訪問介護ヘルパーとしてがんばって働いておられます。彼女は今も、「こんどいつか井上に会ったら・・・」と、よくおっしゃいます。その言葉がごく自然に聞こえるのです。井上さんが遭難された後の十数年間、毎日ずっと心の中で彼と話し続けてこられたのだろうなあ、とひしひしと感じさせられる言葉です。本当の夫婦というのはそういうものかもしれません。