親知らずを抜くかどうかは、私の長年の懸案事項だった。でも、虫歯になっていないのを理由に、とにかく逃げ回っていた。

１５、６年前から、家族全員が通っている歯科医のＴ先生は、年は１つ２つ下で、なかなかハンサムな方（マスクを取ると、そうでもないという説も）。でも初めて会った時から、何かにつけ、からかわれる。
「口を開けて待ってる間、寝ないで下さいね。僕の夢を見ると、気分が悪くなりますからね」
「ここに来ること自体が悪夢ですわ！」

歯茎が痛んだり何やかやで、何年かに１度は、その歯科に行く羽目になる。その度に親知らずも検査し、抜くことを勧められていた。

ある日、不承不承、手術日の予約まで取ったところ、母に言うと、
「痛みもしないのにどうしてそんな恐いことをするの？親戚のだれだれさんは、３日間痛くて唸ってたそうよ。やめておきなさいよ」
又恐くなった。手術のドタキャン。どこまでも足を引っ張る親だ。



昨年、同窓会の席で、歯科医のＮ先生が隣にいらしたので、聞いてみた。
「塩田さんはやめといた方がいい」
「見もしないで、なんでそう言うの」
「もう年やから」
「……」
「若かったら、赤ちゃんが生まれる前に、痛くなっても薬を飲めないから、抜いておいた方がいい。でも、もうそんなことはないから、痛くなければ抜く必要はない」
なぁんだ。でも、良かったぁ。

今度はＪ先生に質問。奥歯に悪影響を与えるから抜くべき、と、丁寧に説明して下さった。う〜ん、やはり覚悟がいるか。

そのうちに、と思っていたら、暮れからお正月にかけて、親知らずが疼きだした。もう、Ｊ先生の言い分に、Ｎ先生の言い分まで叶ってしまった。お正月明けに早速受診。虫歯になっている、と。
「どうしますか？」
「お願いします。もう逃げません」
１週間後を予約。

友達に、「明日、親知らず抜くの」と言うと、
「痛いのよ−」
「口を３０分開けておくのが大変だった」
「耳元でガンガン、工事してるような音がするのよ」
「出血多量で死んだ人も知ってるわ」
よく脅かしてくれることだ。



でも今度の決心は固く、予約通りに出かけた。
「２年ぶりにお越し頂いて」
「主人が、先生の所に行くと聞いて、Ｔ先生のこと嫌いじゃなかったの？って、びっくりしてましたわ」
「ははは、じゃぁ、優しく痛まないように手術しましょ」

手術そのものは１０分あまり。ガンガンも言わない。いつもの治療と変わらない。砕くこともなく、歯の形そのままで渡された。腕は良いらしい。

帰宅して間もなく麻酔が切れ、頭にズキンズキンと響く激痛。が、それも２時間ほどで、化膿止めと消炎剤を飲んだら、痛みが我慢できる程度になってきた。とうとう鎮痛剤を飲まずに済む。昔、鎮痛剤で、全身にすさまじい薬疹が出たので、これが１番心配だった。文字通り、「腫れ物」に触るように心配していた夫も、案外元気な様子にほっとしていた。

翌日はすっかり痛みは引いていた。消毒のため、また歯科へ。先生が、顔の腫れを見て、マスクを下さった。今回は優しい。

まだ食事はしにくいので、お誘いは全て延期。暇なので、食事にも手をかけ、夫は喜んでいる。でもそれも後僅かよ、と宣言。手術から１週間後には抜糸。糸の切れたところで、凧のように、またどこかに飛んで行こ！