腕時計はシチズン製の3800円。ネクタイは、新橋駅前で1000円のを買って来たり！ブランド名など全く知らず、色柄など何でもよし。機能オンリ−の庶民的な夫が、高級スポ−ツクラブに入りたいと言い出したときには、へぇ−、ぼんぼんなんだ！と初めて思った。

今まで自分の物に贅沢をしたのは、一眼レフのカメラとパソコンだけ。10何年か前、写りの良い写真を見せられて、突然その人の持っていたのと同じカメラを買いたいと言い出した。それまで写真なんか全く興味のなかった人が、である。

「何を撮るの？」「ママを」「40にもなって、シミやしわが増えてから、写真なんか撮って欲しくないわ。新婚旅行の時の写真もないのに」

新婚旅行中、フィルムが空回りしているように思ったのだったが、夫が、大丈夫だよ、と言う。まだ初々しかった私ゆえ、反抗することもなく、そうかな？と撮り続けた結果、全てパ−だった思い出がある。

それでも、初めての贅沢だからと、希望のカメラを一緒に買いに行った。結局、夫は忙しくて使う機会が殆どなく、私は重くて嫌なので、そのままになった。


パソコンは、初めのうちはなんでそんなに高いのが要るんだろうかと思ったが、夫は専門家であるし、容量が問題と言われては仕方がない。しかし、私自身が使うようになってからは、パソコン関連商品なら、何を買っても文句はない。何でも、「買って、買って！」と勧めるほどに。

３回目の贅沢は、ちょっと考えものだった。「運動なんか屋内でしないでも、私なら多摩川を歩くわ」と言ったものの、家族のためには出し惜しみをしない人だし、自分の稼ぎで入りたがってるんだから、と、また一緒にジムの見学に行った。

会員数は多くないし、設備が整っていて、なかなか良さそう。私も納得して、夫は晴れて会員となった。係の方から、奥様もご一緒にと入会を勧められたが、「私は多摩川！」の路線を押し通した。

最初のうちこそ、家族用の割引券を買って５、６度一緒に通ったが、すぐ飽きて、夫１人で通うようになっている。「今日も『奥様は？』って聞かれたよ」と、毎週のように言っていたが、そのうち聞かれなくなったらしい。離婚でもしたかと思われているかも知れない。


その後、そのクラブは温泉を掘り当て、今では、世田谷の温泉として、一般に開放され、有名になっている。会員のお風呂も温泉に変わり、夫はますます熱心に通っている。

身体的には、帰宅後ビ−ルを飲み、食欲旺盛で太り過ぎ、何の値打ちがあるのかと疑問だけれど、ジム通いを心底楽しみにしていて、精神的ストレス発散の場として確立したようなので、何よりだと思っている。

今日、夫がジムに行っている間に、近所のお米屋さんが配達に来た。
「ジムはＥですか？」
「ううん、あの温泉のジム」
「昔あそこが開業したばかりの頃、入りたかったんですが、高くてやめたんですよ。それでＥに入ったんですが、会員が多くて、プ−ルでもいっぱい。自分のペ−スで泳ぎたくても、どんどん後ろの人に追われて、必死で泳いで、死にそうになるんです」
「健康になるために入って、かえって不健康になるという訳ね」
「クラブライフを楽しめるかと思ったのに、休憩中もざわざわして全く落ち着かないし、とうとう止めちゃいました。ご主人、正解ですよ」
「ゆとりのためには、お金もかかるのねぇ」

そして、ドアを閉めながら、お米屋さんはこう言って帰った。「ご主人を責めないで下さいね」